nurikabeHP ■名前■ ぬりかべけんちゃん ■生息地■ 京都の西のはし ■趣味■ ビデオ観ること、車乗ること、衝動買いすること ■好物■ らーめん、とんかつ、焼き肉、イクラをこよなく愛する ■苦手■ 酒、タバコ、女性 ■愛読書■ 「どくとるマンボウ航海記」 ■尊敬する人■ 「どくとるマンボウ航海記」の著者である北杜夫先生と織田信長 ■夢■ いつかお金持ちになって自分だけの映画館を創ること。 ■コンピュータ履歴をつらつらと■ 小学校の時、うちにシャープMZ-80Bがくる。何を思ったのかちょっと触ってみるとピコっと動いた。それが出会いだった。 とりあえず「マイコンBASICマガジン」の創刊号などをBUYしてきて必死にBASICのプログラムを打ち込むもBASICは申し訳程度にしか覚えず、その後ゲーマーへの道を歩む。なぜだかいつのまにかPC-8001のFD付きなんかも家にあり、これでも十分に遊んだ。小さい機械はPC-1500がはじめてで、用もないのに持って歩いて外でBASICのプログラムを打ち込んでいた。それでもやっぱりBASICは覚えず、打ち込んだゲームをひたすらPLAYしていた。 当時HC-20なるハンドヘルドコンピュータが発売されており、これが欲しくて仕方なかったのを覚えている。画面が小さく実用に耐えるとは思えなかったが、とにかくピピピと感じるものがあり欲しかった。京セラのOEMでNECからPC-8201というのも出ていたような気がするがこれに関してはたいしてほしいと思わなかった。 小学校の後半から中学生の頃までファミコンにどっぷりとハマり、プログラミングの世界からはすっかり足を洗う。中学生も中盤になるとMSXを手に入れる。松下のCF1200でMSX2ではなく、ただのMSXだった。RAMは16k、なんとかゲームは動き、コナミのゲームにどっぷりハマる。「オホーツクに消ゆ」という当時まだはぶりのよかったアスキー製のアドベンチャーゲームをPLAYして感動を覚えたのもこの頃だった。個人的にはこれを越えるアドベンチャーゲームはないといまだに信じて疑わない。その後、SONYのHB-F1というMSX2を手に入れ、やっとMSX2にステップアップ。SONYのHB-T7を安く手に入れ、パソコン通信の世界にハマり、京都の草の根BBS随一の鼻つまみ者となる。 MSXと同時期にうちの家にはNECのPC-9801Eが導入され、その速さに感動を覚えると共に「ロードランナー」にむちゃくちゃハマる。しかしうちの98くんについていたのは5インチではなく8インチのFDだったため、結局ゲームはMSXでPLAYすることとなった。ファミコンもまた魅力的だったが、基本的にMSX命というある意味間違った道を歩む。 高校の時うちの98くんがとーとーPC-9801RA2にステップアップ。これを機に一気に98ゲーマーだぁ、と思ったが、サウンドボードがついていなかったため、あえなく断念。この時、PC-9801LV22というラップトップマシンを手に入れ、ワープロ&パソコン通信専用機として使っていた。白黒の液晶だったが、十分に視認性に優れていた。北杜夫をはじめとする小説の数々にハマるようになっていたこともあり、自分なりの創作活動を開始、LV22を駅のホームで落下させるという事件までこの創作活動は続く。 その後、NEC-9821Ne2を手にいれるまで、PC-9801RX2でパソコン通信のHOSTを運営、ネットワーカーとしては生き延びていたが、ゲーマーは廃業。パソコン界からは半ば足を洗っているような状態になる。Ne2はいいマシンだったがDOSマシンの起動時間に慣れていた僕には3.1窓とはいえ、起動時間の長さに負けて、論文の打ち込み用のマシンとしてしか活躍しなかった。それでもCPUを交換したりして細々と暮らしていた。 96年夏、友達がLibretto20をJ&PのオープニングセールでBUYしてきた。これがLibrettoとの出会いだった。しごく欲しかったが10数万円という値段は決して安くなく、またロースペックなマシンであったため、BUYすることはなく数ヶ月が過ぎた。 RICOHのデジカメDC-2Lを手に入れたことで、少なからず95窓の必要性を感じるようになり、とりあえずその場しのぎでNe2のRAMを36Mまで増設。デジカメの母艦として十分に働くこととなる。 それでもLibrettoへの未練は捨てきれず、Libretto30の発売時にはよっぽどBUYしようと思うが、友達から「年明けにはPentiumだ」という情報が入り、年明けのLibretto50まで待つこととなる。 97年1月、とうとうPentiumを搭載したLibretto50が発売になる。発売日に店に駆け込むがブツの姿はなく、カタログをもらって帰る。しかし帰ってカタログを眺めれば眺めるほどに抑えようのない物欲がこみ上げてくる。早速店に舞い戻り、値段交渉を開始、Libretto50CTAを178000円という話で手を打った。数日してLibretto50が届き、これが今のメインマシンであるLibretto50となる。はたしてLIBRERとしての道はその時、開かれたのであった。 ▼過去・現在・未来のマシンたち 自作NLX機 Celeron450MHz ↓ 自作NLX機 Celeron333改500MHz ↓ ■最後に■ ほんとは世界一長いプロフィールを書いてみようなどとがんばってみたんですが、はたしてその夢は実現されませんでした。これでもけっこ〜普通よりは長いと思いますが、それでも僕が思っていたものの1/20くらいの長さしかありません。次回プロフィールを書くことがあれば、その際には僕の生い立ちからはじめて、ほとんどそのまま自伝になりそうなものを掲載させていただこうと思っています。 しかしそうなると当然、1日で書くことはできませんので、プロフィールを連載形式で日々更新という新聞の4コマ漫画みたいなことになるかもしれません。結局未完のまま力尽き、そこでおしまいということもありえます。世の中、いつ何時、なにが起こるのかさっぱり予想もつきません。 とにかく僕という人間が少なからずわかっていただければ幸いです。同志となっていただける方はぜひHP内の掲示板のいずれかに常駐してやってください。神と共にそんなあなたを心から祝福します。合掌。
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