| 「死霊のえじき」 DAY OF THE DEAD 1985年 アメリカ 102mins. 監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ 出演:ロリー・ガーディル/テリー・アレキサンダー/ジョゼフ・ピレートー 原題は”DAY OF THE DEAD”、簡単に訳すと”死んじゃう日”である。その名の通りのゾンビ映画で実際「ゾンビ」の監督であられるジョージ・A・ロメロの作品。ゾンビものといえば数限りなくあり、またおかしな作品も数多くあるが、この作品に関してはいちおー「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」「ゾンビ」「死霊のえじき」と続くゾンビ三部作の完結編。ゾンビものの正当な続編ということになっている。 怖いかといえばそうでもない。しかしはじめてこれを観た中学生当時、少なくともこの映画のオープニングは何度も夢に登場し、悪夢の日々をおくっていたことも確かである。元来恐がりの僕なのでこの映画もその例外ではなかった。今や神をも恐れぬ”オレを信じてコレを観ろ!”などという大それたページまで作っている僕だが、当時は神も仏様もゾンビも幽霊も宇宙人も同様に怖かった。この映画のオープニングがいつまでも頭の中にあるのもそれだけキョーレツなイメージだったからに他ならない。 「ゾンビ」では巨大なスーパーマーケットという設定が作品を非常に面白くしていたが、今回は軍の基地が舞台である。しかもこの基地内に生き残っているのは一癖ある変人ばかりというのは映画にはよくある設定だ。一見まともに見える人間までゾンビの悪夢を見続けるというあたり狂気の世界を作り出すのに念が入っている。そしてこの基地の中ではゾンビの研究をしている博士までいる。この博士というのが強力で、ゾンビの記憶を呼び戻そうとがんばっている。これだけ書くとまるでコメディ映画だが、作品中では十分まじめに取り組んでいる研究なので笑うに笑えない。ゾンビのエサは他のゾンビを砕いた肉片。共食いだがこれがまたうまそうに食う。なによりこの研究自体お笑いで、血の通っていない、しかも脳味噌腐っているゾンビが記憶を取り戻すはずはないのである。ただそこは映画、しかも問答無用に死者が蘇るゾンビ映画なので突っ込んではいけない。 ゾンビ映画の派生系にはいろいろあり、マイケル・ジャクソンの「スリラー」などには踊るゾンビまで登場するくらいなのでむちゃくちゃである。しかもこの「スリラー」、監督はなんと「ブルースブラザース」のジョン・ランディスだ。コメディのうまいジョン・ランディスが作っているだけにゾンビも踊りだしたということだろう。その他にも脳味噌くれくれの「バタリアン」、キュービックホラーと言われた閉鎖的空間で大変なことになる「デモンズ」など様々な作品がある。どの作品にも共通していることは”いったいどうしてこうなったのかわからない”ということだけで、後はそれぞれ好き勝手やっている。ただゾンビ三部作についていえば、いちおー法則的なものがある。 ・脳天かち割るとお亡くなりになる ・死んだ途端、ゾンビとなって蘇る ・とりあえず人間を襲って食う この中で一番重要なのが”脳天かち割るとお亡くなりになる”という共通点だ。ゾンビ映画の派生系の中には脳天かち割ろうが、頭なくなろうが、それこそ下半身だけでも歩き出しそうなものまである。しかし、ゾンビ三部作の世界ではとりあえず頭さえなくなればあとは動かなくなるので「死霊のえじき」の中でも頭かち割りまくりの、さながら夏の浜辺のスイカ割り大会状態である。 「死霊のえじき」はゾンビ三部作の完結編というだけあって、ゾンビ映画としてはそーとーに理屈が多い。だからこそどうすればゾンビの記憶を蘇らせることができるのか、なんていうまったくとんでもない研究をしている博士まで登場する。そしてどうやって逃げるか、ということについてもけっこ〜真剣に考えている。ゾンビ映画を観るためにはこの三部作は欠かせないといっていい。しかもこの「死霊のえじき」ではその定義が多く出てくるのでゾンビ映画を系統立てるうえでもこの映画は欠かせない。もちろん定義よりも素直に怖がったほうが映画を楽しめるので、映画を観るときにはそんな理屈はさっぱり頭の中から消し去って、逆に隣で観ている恋人がゾンビだったらどうしようなんて想像をしながら観てほしい。 |