| かきかた メール編
はじめに
小学生の頃「かきかた」の時間があった。僕は生まれ持っての悪筆で、この「かきかた」という授業ほど嫌なモノはなかった。自分は努力して書いたつもりの字も隣の席を見ると自分のそれよりもはるかに簡単に、そしてきれいに字を書く友達がいて、ひどく悲しい思いをした。これでは人間、神と世の中を恨まずにはいられない。なぜ神は僕にきれいな字を書く手を与えてくれなかったのか?
しかし現在インターネットの中では僕の悪筆を知る人は少ない。少ない以前に僕の悪筆を見る機会がほとんど失われてしまったからに過ぎないのだが、これはまことに結構なことである。おかげで僕は自分自身を表現することができ、多くの人にそれを読んでもらうことができるようになったのである。ワープロほど素晴らしい発明は他にないと思う。これがなければ今の僕はない。
言葉を伝えられるようになった僕は、少なからずこれまでにも書いてきた。たいていくだらない駄文であり、後世に残す必要を感じないものばかりである。しかしここにきて少しばかり人の役に立つモノを書きたいと考えた。もっともそんなものは僕のおごりであり、エゴだが、自分の思いを後世に伝えるためにも、今書かないといけないような気がして、これを書いている。
今回はメール編と題して、メールの書き方について考えていきたい。はたしてそれが役に立つかどうかはわからないが、僕自身の経験から少しでもわかりやすく、かついかにすればメールを楽しめるのかを書いていきたいと思っている。少しお時間をいただくことになるが、もしお時間があるようであれば、今しばらくおつきあいいただきたい。
タイトル
メールを読み書きする時、一番はじめに考えるのがタイトルである。もちろん無題で送るのもいい。ただしたいていの場合、何かしらタイトルというものを考えてつける。それがある意味当然だし、それに対して違和感を覚えるようなことはほとんどない。たまにクレームメールを送る際、あんまり腹が立ちすぎて粋なタイトルをつけようなんて気がおきない場合にはタイトルを入力せず”無題”として送るのも、なんだか無言の抵抗のようでカッコイイなぁ、と憧れたくもなるが、それ以外はやっぱりなんのかんの言いながらもタイトルをつけて送る。
タイトルで最近一番有名なのが”あい・らぶ・ゆー”という例のタイトルである。日本人同士でさすがに”あい・らぶ・ゆー”は言わないような気がするが、それでもこれにひっかかった人がいたということなので、日本という国がいかに愛に枯渇しているかということがうかがえる。それかガイジンの友達か恋人でもいるのか・・・それにしたって見ず知らずのメールアドレスなら察しがつきそうなものだ。
とにかくタイトルはそれくらい重要であると言える。相手を信じるのも信じさせるのも、また騙されるのも騙すのもタイトル一つにかかっていると言っても過言ではない。そしてまたメールで一番はじめに目につくのはまさにこのタイトルである。
世に名高いシェイクスピアもその作品の中で言っている。
「ネオンはピカピカ光っているほうがいい。目を焼くくらいの光線を!」
やはり看板は人をどれだけ惹きつけるか、というその一点にかかっている。タイトルはまさにメールの看板であり、メールが氾濫し、群雄割拠の様相を定する現在においてはメールのタイトルは非常に重要な、ノルマンディ上陸作戦にも匹敵するほどの意味を持っている。
パパ・ヘミングウェイはその著「手紙よ、おさらば」の中でもこう記している。
「読まれるか!それとも死か!」
文豪でさえもメールに対する情熱は他と変わらない。読まれなければ死をも覚悟するつもりでメールを書き、そのタイトルはまさにその先鋒と言える。
では具体的にどういったタイトルを書けばいいのか。
「はじめまして!」
はじめての人に送る時に使うタイトルはたいてい「はじめまして!」である。しかしこれではダイレクトメールと間違われかねない。ダイレクトメールの多くも「はじめまして!」「新製品のご案内!」「いいネタあります!」「いますぐ一攫千金!」などと人間の深層心理に呼びかけるタイトルをつけてくるものが多い。それと同じレベルでタイトルをつけていては、”個性”というものに欠ける。個性の時代だから、メールのタイトルにも個性的なものを。
「藤山寛美と申します」
固有名詞を使う。これはまさに個性的だ。というより、個人そのままである。しかしこれもまた可なのである。相手に自分が誰かということをまず伝える、これも一つの正解であると言える。ただしさすがにいつもこれと同じでは芸がない。やはり隠し芸は多いほうが楽しいにきまっている。
「先日のお電話の件について」
非常に抽象的かつ謎を含んだタイトル。いったいなんだろうとそそられる。なによりこれなら”先日のお電話”という具体的な事例があがっているので、そのことと併せて”ああ、あのことだな”と察しがつく。タイトルから内容を連想させ、それをきっかけとしてメールを読ませるというのはタイトルの書き方の常套手段と言える。しかしこれではオリジナルメールの場合には使えない。
「雪印の件についての考えをまとめてみました。読んでください」
確かにこれならオリジナルメールのタイトルとして使うことができる。ただしこれでは長すぎる。タイトルは簡単且つ明瞭なものが望ましいので、もう少し小さくまとめてみたい。
「雪印大阪工場の件について」
これくらいがちょうどいい。ただしこれでは内容そのままで意外感がない。やはり意外なタイトルがついているほうがアイキャッチ(目につく看板)としては意味があるし面白い。面白いものを目指すのであれば、もう一歩進めてタイトルを考えたいところである。
例えば、
「ナニの件について」
これだときっと「なんだろう?」と読んでくれるに違いない。意外性はタイトルの要素にとって必要不可欠なものである。そしてまた以上のようなことからもわかるように、簡単なだけでなくなるべく何か他にも惹きつける一言(この場合”ナニ”)を入れることが非常に効果的である。
しかし基本的には内容を連想させる単語をタイトルに使用することが一番望ましいと言える。タイトルに凝りすぎた結果、わからなくなってしまっては意味がない。特にビジネスメールの場合は特別”凝る”必要はなく、逆にどれだけ定型のタイトルを選択することができるのか、ということが必要になってくる。
そして気をつけないといけないのが、返事を書く際につけるタイトルである。多くの人がメニューから”返信”を選択し、
「Re: ナニの件について」
などと”Re:”がついた状態のメールを送っているかもしれないが、これは場合によってはあまり良いとは言えないタイトルになる。前述のように固有名詞を用いたタイトルの場合には、
「Re: はじめまして!野中ひろむです!」
と相手に相手の名前を返信する格好になり、受け取った相手が必ずしも愉快とは言えない気分になる。
タイトルはメールの顔とも言うべき部分なので、それがおかしなものだと当然その内容にも疑問を抱かずにはいられない。特に上記のような固有名詞が含まれたタイトルにそのまま”返信”で返すことは避けなければいけない。やはりタイトルは一生懸命考えたオリジナルのものをつけることが望ましい。
ただしこれもビジネスメールなどで用件をタイトルで区別している場合には、”Re:”をつけて返信するほうが逆に望ましい場合もある。毎回奇妙なオリジナルタイトルを考えてつけることで、メールが整理しにくくなり、もしもの場合に検索をかけることが困難になるのでは意味がない。
どんな場合にも相手を気遣い、いかにメール交換を楽しくするかということを考える必要がある。そしてタイトルはそのやりとりをスムーズに行ううえで欠かすことのできない重要な要素であると言える。メールを読むたび、一番に目に触れるタイトルだけに、他にないオリジナルのものをつけるほうがメール交換が楽しくなることはまず間違いないだろう。
挨拶
メールでの挨拶はとても大切である。日常でも挨拶は大切だが、メールでの挨拶はそれとはまた違った意味あいも含んでいる。特にホームページに掲載されたメールアドレスにメールを送る場合などは、面識のない人に突然声をかけるようなものなのでいつも以上に気をつかわないといけない。当然メールを受け取った側は挨拶の言葉が足りないと、
「なんだなんだ、突然メール書いてきて挨拶もなしかい??ええっ??」
と思われかねないからである。では具体的にどういった挨拶がいいのだろうか?以下、タイトルの項と重なる部分も少なからずあるが、それをふまえたうえで話を進めていきたい。
まず、定型とも言える挨拶から。
「はじめまして、ぬりかべけんちゃんです。」
確かにこれでも問題ないように見える。しかしインターネットの中には多くの人が匿名で活動しており”ぬりかべけんちゃん”などというふざけた名前は当然”失礼”に値する。ただし僕の場合、”ぬりかべけんちゃん”や”ぬりかべ@京都”というのはインターネット上では少しは人に知られた名前であり、個人的なブランド名にも似た意味もあるので、
「はじめまして、ぬりかべけんちゃんことk_yasudaです。」
といったように、すぐ後ろに本名をつけることを忘れてはならない。
ただしこれでも何か少し足りない気がする。いったい何が足りないのか?それは相手の名前である。普通に生きていて、しかも普通に街中を歩いていて、突然名前を呼ばれることはあまりないように思う。実際そんなふうに声をかけてくれるのは親しい知人か親か先生か、それともストーカーくらいのものである。
インターネットの中では多くの人がホームページを公開し、それを不特定多数の人が見ている。当然そうしたホームページを見て「おおっ、この人の意見に賛成だ!」という感動があった場合には、即座にその人に宛ててメールを送ることになる。しかしこちらはホームページを見て相手を知ったつもりで送っているが、相手はまったくの見ず知らずの人なのでメールを読むことすら恐ろしいということがあるかもしれない(ウィルス被害も増大中、さらには新種の”あいらぶゆー”ウィルスなどという誠に幸薄い人が飛び上がって喜ぶような悪質なものまで蔓延している昨今なので、たとえ親しい間柄でも決して油断はできない)。そうした場合、やはりはじめの一言は重要であると言える。相手の気持ちを和らげ、自分宛に届いたメールを確認できることは少なからず相手を安堵させることができるからである。
ダイレクトメールなどではよく、
「はじめまして、あなたに有益な情報をお届けします。」
などという一文がはじめに書かれている。”はじめまして”はいいとして”あなた”という抽象的な、且つまた不特定多数を指す表現がどれだけ気分を害するかしれない。この他、少し凝ったものでは、メールのアドレスから名前を書いている場合もよくあるが、同様に気分のいいものではない。なにより本当に”有益な情報”であればわざわざメールなんて送らずに、素直に宝くじのアタリ番号でも教えてくれるほうがよっぽどいいに決まっている。
ダイレクトメールの一文を見て感じられることは、その中に固有名詞が入っていないために、非常に薄っぺらな内容に見えてしまう点である。当然そんなメールが着たところで読むには及ばず、即ゴミ箱行きとなる。送ってくれないほうが面倒がなくていいくらいだ。
ところがこれが名前入りだったとしたらどうだろう?
「はじめましてボブ!いつもホームページを拝見しているk_yasudaです!
今日はナイスガイなボブにとっておきの情報をお知らせしたくて
メールを書きました!」
となっていれば人を騙すのもそう難しいことではない。人の心は何かきっかけがあればすぐにうち解けて話せるものなのである。それはメールという文字だけのコミュニケーションにおいても同じであると言える。
内容
はたして何を書けばいいのか?
メールを書こうとしてネタを思いつかないというのはよくあることである。何も悩むのはラブレターばかりではない。普通に書くということがいかに難しいか、それは昨日会った友達に昨日のことをメールすることを考えればよくわかると思う。新しい出来事があるわけでもなく、話すことは昨日のうちにすべて話してしまっている。でもその相手に普通のメールを書く。たったそれだけのことかもしれないが、これが意外に難しい。
家に帰ってから母親に怒られたとか、朝起きたら隣の家だったとか、何かしら次のアクションがあると書けないことはないが、たいていの場合、何もない。昨日のことはすでに昨日のうちに話してしまっているし、よっぽどのことか、隠し事でもないと書くにも話がないのが普通である。そういった意味では何もないのにメールを書き続けることのできる若年層の文才には、まったく感心する。とてもじゃないが僕はそこまで何もない時に書き続けることは不可能である。
まあ実際そこまで限定する必要はないが、普通に何かを書いて送るということは案外難しいことだということがおわかりいただけるだろう。
ではいったい何から書けば?
ようやく本題に入れるような気がする。とにかく何から書くのか?それが問題である。一番無難なのは”天気”の話題である。これは実社会でも同じである。隣の人に声をかけるのに
「今日はいい天気ですね」
などと言う。別にそれが当たり前なのだから、定型句と同じにメールでも
「今日はいい天気でしたね」
などと書いておくのがいい。するとそのうちのいくつかは、
「え?そうなんですか?」
という返事が返ってくるに違いない。そうすればしめたものである。
メールというのはまったく便利なもので、それが世界の果てであっても電話回線なりなんなりがあれば、届くのである。当然世界には晴れている場所もあれば、雨の場所もあり、ハリケーンだ、地震だ、山火事だと、天気の話題だけでもごまんとある。しめたものである、というのはまさにそれである。天気が違えば、それが次の話題にも使えるのである。次のネタを考えないですむのでこれほど楽なことはない。
しかし中にはやはりそれだけでは話がもたないこともある。同じようにいい天気だったとしたら
「そうですね」
としか返事が返ってこないかもしれない。これではまったく味気ない。メールの醍醐味はどんどんと話がふくらみ、遂には元の話題がなんだったのかわからないほど会話のキャッチボールが進むところにある。そしてそのキャッチボールがどれだけ続くかによって、そのメールの価値が決まる。メールは無意味な言葉のやりとりではない。かといって、いかに素晴らしい言葉のやりとりであろうと
「努力」
と書いて
「根性」
としか返ってこない単語のやりとりがメールとも言えない。やはり少なからず言葉を綴り、その言葉のハーモニーを楽しむことがメールの楽しさである。そしてそのハーモニーが長ければ長いほど素晴らしいクラシック音楽を聴いて感動した時のような、ハイソサエティーになったかのようなそんな勘違いを楽しむことができるのである。
だからこそ相手に送るメールは考えて書かないといけない。まず返事をもらえそうな内容、次に相手に話しかけるような語り口、そしてさりげなく相手の答えを誘う言葉。例えばいかようなものが望ましい。
「はろぉ〜、ボブ、ぬりかべ@京都です。
今日はいい天気ですね。そちらの調子はいかがですか?」
挨拶の言葉、相手の名前、そして自分の名前。さらには天気の話題、そして相手の答えを誘う言葉。たったこれだけだが、十分に完成されたメールであると言える。あとは小学校の作文を思い出して形容詞を多用する技法を組み合わせることで、さらに長文の文章を書くことが可能になり、ボリューム感のあるメールへと仕上げることができる。
「はろぉ〜、いつも元気な僕のかわいいボブ、
僕はいつも元気ならーめん好きのぬりかべ@京都です。
今日はいつもにもまして空が青く、太陽が昨日の倍ほどの大きさに思え、
今にも駆け出したくなるようなそんな気分にさせてくれます。
そちらの天気と懐具合、それにいつぞやの奥さんは元気に生きてますか?」
内容的には同じだが必要のない形容詞とくだらない話を付け加えることで、さらに現実的かつボリューム感のあるメールになることがわかっていただけるかと思う。
これであとはウィットな笑いを呼び起こすネタと文章力があれば、芥川賞だって夢ではない。もっとも芥川賞をメールで受賞した人は今までになく、そして今後もきっと望みはほとんどないことは周知の事実である。さらにセンスというものは天が与えた才能の一つであり、これがないと結局いくら多くを綴ったところで名文にはなりえない。天才と馬鹿は紙一重かもしれないが、天才の文章と馬鹿の文章はどこまでいっても平行線で交わることはない。馬鹿が天才になることはありえないのと同じに、センスのない人間は結局駄文を綴るしかないのである。そしてもし自らが後者であると感じた場合には、迷わず盗作をお薦めする。盗作にはゲーテがいい。ゲーテにはすべてがあると言う。ただし盗作の多用、ことにゲーテの多用はあまりお薦めしない。あまりに現実離れした表現方法は決して常人のものではない。盗作もほどほどにメールを書くことが一番の上達術であると言える。
返事を書く
メールをこちらから書くということについてはすでに述べた通りなので、次は返事の書き方について進めていきたい。
なぜ返事を書くのか?
返事というのは基本的にコミュニケーションの一つである。
「おはよう」
と言えば
「おはよう」
と返ってくる。これと変わらない。別にいたって普通に日常行われているものである。
ところがメールの返事となるとこれがけっこ〜考える。考える必要はないはずだが、「はい」とか「いいえ」だけではまずいような気がして、必要もない世間話や自分の近況などを長く書いてしまう。しかし実際相手はそんなものは望んでいない。相手が望んでいるのは、自分の話をいかに多く聞いてもらえるのか(メールの場合なら”読んでもらえるのか”)ということであり、また自分の意見に対する同意である。反対を唱えることでもメールのキャッチボールは続くかもしれないが、たいていの場合、失うモノは少なくないのであまりお薦めしない。
「いかがお過ごしですか?」
とメールがきた場合、自分を多く出してはいけない。向こうからメールが送られてきた場合、8割くらいは相手の環境の変化に対することを聞いてほしいからであり、あとの2割はつきあいからである。”あい・らぶ・ゆー”などというメールはまずほとんど期待できないし、そんなメールを送るよりは電話してしまおうというのが、今のせちがない世の中なのである。
「いかがお過ごしですか?」」という場合の返事の書き方は至って簡単である。
「いやぁ、なんとかやっています。
そちらはいかがお過ごしですか?
おもしろいことがあればぜひまた教えてください。」
相手は十中八九「いかがお過ごしですか?」という答えを期待してメールを書いてきている。そこで馬鹿正直に自らの近況を長々と書いてはいけない。宴会の席で”無礼講”というのがあるが、あれを本気にしてはいけないのと同じである。
そして必ず最後は相手への問いかけの言葉で終わることを忘れてはいけない。これが次のメールへの布石となるのである。相手の心理状態を分析し、考え、そして書く。メールを書くのは決して難しいことではないが、相手の心の中を読む、そしてそうしたことをふまえたうえで考えて書くということは、犯罪心理学を本気で勉強するか、それともよっぽどズル賢くないかぎりはなかなか難しいことである。
引用
メールの返事を書く際、初心者が一番安易に使用する技法、それが”引用”である。これを多用すれば返事を書く際に”はい”とか”いいえ”とか、引用した文章の後に適当に返事を書けばすむような気がして、ついつい多用してしまう。しかしこの”引用”、はたして本当に効果的なのだろうか?
例えば学校での一場面を想像していただきたい。
先生「織田信長は本能寺の変で自害したわけですが、
この時の明智光秀の心情を適当に考察してください。」
生徒「>織田信長は本能寺の変で自害したわけですが、
>この時の明智光秀の心情を適当に考察して下さい。
はい。」
先生の質問に対しての生徒の答えははたして”はい”の一言だが、その答えを言うためだけに先生の質問を繰り返している。これはまったくばかげたことに見えるが、メールの世界ではこれがまさに多用されている。そしてそれが近しい人であればあるほど、引用する文章をわざわざ読み上げられているように感じるものである。
普通、書いてる本人はその内容をよほどのことがないかぎり覚えていると思っていい。なのにそれをわざわざ引用することがどれだけおかしなことであるかは、たとえ小学生でもわかるに違いない。それなのに文章を書くのが苦手なのか、ここに対する答えですよ!とよほど強く主張したいのか、多くの人がメールを書く際に引用を多用し、メール本来の面白さを半減させていると言っていい。
メールの面白さは会話のキャッチボールを文字ですることにある、というのは前述の「内容」の項で述べた通りである。しかし引用はそのキャッチボールの大きな障害になる。”はい”とか”いいえ”とか、そんな答えが返ってきたところで、キャッチボールになるはずはないのである。そんなわけでもし楽しいメールのやりとりを期待しているのであれば、引用は決して多用しないほうがいい。
例えば以下のようなものはあまり好ましくない。
ボブ「昨日の味噌煮込みうどんはとてもおいしかったです。
いつも貧しい食生活の僕にはまるで王様気分でした。
どんなダシを使えばあんなにおいしくできるんでしょうか?
ぜひ教えてください。」
というメールに対する答えが
自分「>昨日の味噌煮込みうどんはとてもおいしかったです。
そうですか。
>いつも貧しい食生活の僕にはまるで王様気分でした。
そうですか。
>どんなダシを使えばあんなにおいしくできるんでしょうか?
>ぜひ教えてください。
カツオです。」
となるとまったくキャッチボールにならないでいる。この例を見ていただければ、引用がどれだけメールを面白くないものにしているかがおわかりいただけるはずである。だから今度は以下のような答え方をする。
自分「昨日の味噌煮込みうどんですが、気に入って
いただけたようでよかったです。
王様気分とまでは行かないまでも”大名うどん”という名の
うどんですから、大名気分になっていただけたかと思います。
ダシはカツオを使用し、味噌のまったり感に加えて
コクのあるスープを演出しています。
ボブもぜひまた挑戦してみてください。」
どうだろう?まず引用がないために文章の自由度が増していることがおわかりいただけるはずである。引用はそれに対する答えをすぐ下に書くことが多いため、質問に対する答えが”Yes/No”になってしまいがちになる。当然質問に対する答えなのでそれ自体が間違っているわけではないが、読む側にとってそれがはたして楽しいメールに感じられるだろうか。いや、たいていの場合は”楽しい”、”面白い”とは感じないし、返事を書くきっかけすらつかめなくなる。
では逆に、引用というのは禁断の技法であり、使ってはいけないものなのだろうか?これに対する答えは”いいえ”であり”No”である。
引用を使用する場合もある。そうでなければメーラーにそのような機能を付ける必要はないし、実際使う人もいないだろう。しかし”引用”というのはメーラーの一機能になっている。これはその機能を使うことがあるし、使える機能だからついているのである。決して”なんとなく”そこにある機能というわけではない。ではどのような時に引用をすればいいのだろうか。
例えば長文に対する答えの場合、質問に対する答えの所在が曖昧になる。このような場合には元の文章を引用し、その後に返事をするという書き方をする。これにより質問と答えの関係が明確になり、文章としてもわかりやすくなる。また逆に答えが曖昧で抽象的なものになる場合には、質問を引用し、これに対する答えである必要が出てくる。
「あなたは森総理の発言についてどう思われますか?
また森総理が続投することについてどう感じられましたか?」
これに対する答えが
「ばかげていると思いますし、なんともおかしな感じです。」
という場合、上記の二つの質問のうちどちらに対する答えなのかが明確でない。じつは質問がすでに”思いますか?”と”感じられますか?”という2パターンになっているので、”ばかげている”というのが前の質問に対する答えであり、”なんともおかしい”というのが後の質問に対する答えであるなのだが、答えがどちらにもとれる抽象的なものであるために、この答え方では不十分であると言える。そこで、
「>あなたは森総理の発言についてどう思われますか?
まったくばかげていると思います。
>また森総理が続投することについてどう感じられましたか?
なんともおかしな感じがします。」
とすることで、質問に対する答えを明確にすることができる。こうした場合には引用することが望ましい。特に長文の中に質問がまぎれている場合は、部分的に引用するという技法は決しておかしいことではない。短い質問に対しては自分の言葉を交えることで、答えの所在を明らかにして、さらにボリューム感を増すことも可能だが、長文の場合はどこの質問に対する答えなのかがわかりにくいので、それを明確にするという意味で引用することが望ましい。
またメール以外からの引用に関しては、引用によって相手と情報を共有化し、自分の伝えたいことをより明確にするという意味もあるのでこれに関してはまったく問題ない。例えば本や新聞などからの引用などがこれにあたり、相手と情報を共有化し、話題にするという意味からも十分にメールの一文にふさわしいものになるだろう。もっともそれがメールの内容とかけ離れたものであったり、不用意に長い引用の場合には、これもメールの内容が不明瞭になりかねないので、こうした引用ついても適度な長さでうまく切ってまとめることが大切になってくる。
書くのが面倒だから引用するという姿勢での引用はあまりお薦めできない。なにより手抜きのメールはそれを読む人の心象を害することもあり得るし、手抜きメールというのは見てとれるものである。なるべくなら自分の言葉で多くを伝えるほうが、より自分の意見として相手に受け入れられやすく、相手もそのメールに対して何かを返そうというギブ&テイクのキリスト教的発想が生まれることは間違いない。
言葉の選び方
メールを書く場合、決して避けられない問題、それは”言葉”の問題である。この場合の言葉とは英語だとか、スペイン語だとか、第三国の言葉だとかそういう次元のこととはかけ離れている。人それぞれ言葉が持つ意味は違っている。当然相手によっては話す言葉も書く言葉も違うというのが日本語の中ではまかり通っている。
英語の場合は随分と勝手が違う。「大統領」であっても「犬」であっても、また「あの方」であろうと「あいつ」であっても「You」と同じ表現をしたりする。まあ、日本の総理大臣も実質犬と変わりないことは確かだが、言葉の上では「森さん」(2000年6月後半現在)と表現し、「森様」と表現し、さらには「総理大臣様々」と表現するので、犬っコロとはさすがに格が違うといった印象を与える。
そんなわけで日本語では言葉を選ぶというのは非常に大きな意味を持っている。さらに言えばメールという言葉だけの世界では言葉に対する意識は思った以上に高く、使い方によっては宗教戦争さながらの揚げ足取り合戦が開始されることとなる。また同じ言葉であっても相手によって善し悪しというものもある。
例えば
「昨日のパーティは盛大だったようですね。
ご馳走はいかがでしたか?たくさん食べられましたか?」
などという一文はこちらに悪意がないかぎりは、まったく普通の文章だが、これがこと体重を気にする女性相手となると決してそうはいかない。”ご馳走はいかがでしたか?”という部分でまずピクっとくる。そして”たくさん食べられましたか?”という部分にいたってはカチンときてしまって、いつの間にか相手はすっかりフンガイしてしまっているはずである。ではいったい何がいけないのか?
メールでのやりとりというのは相手の容姿、性別、年齢などはまったく関係ないはずだが、かといってそれらすべてを”考えなくていい”ということではない。自分にしても相手にしても、お互い心のうちに秘めたる何かがあるのはあたりまえである。しかしそれは顔をつきあわせて話をする場合なら、相手の”顔色”をうかがいつつ、さらには、またその他の情報から何かしら”察する”ということが可能だが、いかんせんメールの中ではそうはいかない。不用意な言葉のやりとりで相手を傷つけるということはよくあることである。かといって相手がその不満を書いてこないとそれがずっとわからずじまいになるのでなかなか難しい。問題がオープンになっているのであればともかく、問題がわからなくては当然それに対して対処しようがない。そしてそうしたわだかまりがある日突然爆発し、家に届いた小包を開けるとまさに爆発したりする。
やはり言葉は必要以上に気をつかわないといけない。特にメールという文字だけの世界ではそうした気遣いは現実世界以上に必要になってくる。案外当たり前の言葉が人を傷つけるというのは現実世界でもよくあることだが、メールにおいてはさらにその範囲が広いと言える。
スタイル
メールを書く時に気をつかうのは何も言葉ばかりではない。いかに読みやすく、いかに読みたくなるようなメールを書くのか、それは見た目の印象からも違ってくる。たいていの場合、初心者は改行を入れずに文章を書く。
「先日はどうもありがとうございました。次の機会にはまたぜひよろしくお願いします。ところで今回テーブルの上にあった花瓶を一つ、失礼とは思いましたが拝借いたしましたのでその旨、遅くなりましたがお伝えしておきます。もし今後ご入り用のことがございましたらお知らせください。」
といった感じのメールが送られてくることも少なくないはずである。これは初心者に限らず、メールを普通に文章を書くのと同じに考えている人によくありがちな書き方である。当然、こういったメールは見た目にもよくなく、いくら丁寧な言葉使いであっても読みにくく感じるものである。
「先日はどうもありがとうございました。
次の機会にはまたぜひよろしくお願いします。
ところで今回テーブルの上にあった花瓶を一つ、
失礼とは思いましたが拝借いたしましたのでその旨、
遅くなりましたがお伝えしておきます。
もし今後ご入り用のことがございましたらお知らせください。」
単純に句読点で適当に区切ってみただけでも随分と読みやすくなる。また頭を揃えることで文章の区切りがはっきりとしていて読みやすくなっているのである。
「先日はどうもありがとうございました。
次の機会にはまたぜひよろしくお願いします。
ところで今回テーブルの上にあった花瓶を一つ、
失礼とは思いましたが拝借いたしましたのでその旨、
遅くなりましたがお伝えしておきます。
もし今後ご入り用のことがございましたらお知らせください。」
さらに行間を考えた上で、内容毎に一行スペースをいれることでさらに読みやすく見せることができる。ではこれに加えて段落をつけてみてはどうだろうか?
「 先日はどうもありがとうございました。
次の機会にはまたぜひよろしくお願いします。
ところで今回テーブルの上にあった花瓶を一つ、
失礼とは思いましたが拝借いたしましたのでその旨、
遅くなりましたがお伝えしておきます。
もし今後ご入り用のことがございましたらお知らせください。」
どうも読みにくい。それというのも今まで頭で揃っていたものが段々になってしまっているので読みにくく、見た目にも悪くなっているためである。基本的にメールの文章に関しては段落という考えよりも、それを行間に置き換えるほうが美しいレイアウトを実現することでき、読みやすい印象を与えるのである。
人に読んでもらうためのメールである。当然読んでもらいやすいように書くことが必要不可欠になる。そのためにもメールのスタイルというのは非常に重要であると言える。ただしここに挙げた例はあくまで一例であって、これがベストなスタイルであるということではない。自分の言葉を表現するためのスタイルであり、自分なりのスタイルを作り上げることができれば、きっとそれが一番いいというのは言うまでもない。自分の書き方にあったスタイルということを念頭において、試行錯誤して自分なりのスタイルを作り上げていってほしい。
署名の書き方
署名の作り方についてはメーラー(メールソフト)によって違うので、一口に作り方を説明することはできない。しかし署名の書き方については、どのメーラーでも同じようなものである。最近は携帯電話機のメールにまで署名を登録することができるようになっているものもある。これは携帯情報端末として一番普及しているのが携帯電話機なので当然と言えば当然かもしれないが、世の中変わったものだとしみじみと感じる。その昔は携帯電話機を持つということ自体がブルジョワジーの証であり、富の象徴であった。なのにいつのまにかみんながみんな携帯電話機を持ち歩いている。フランス革命が起こったわけでもないのに、ある日突然携帯電話が一般加入電話よりも安く叩き売られ、ブルジョワ層の特権であったあの日がある日突然忘却の彼方へと押しやられてしまったのである。
とにかくそれくらいメールというものが浸透している世の中である。そうしたメールにつける署名というものがどれだけ意味深いものであるかは、なんとなくでも感じていただけるのではないだろうか。そしてまた国民総携帯電話機ユーザーという狭い島国とはとても思えない状況がそこにある。まるで蟻の巣の中で蟻がみんな携帯電話機を持っているようなそんな印象を受ける。その中で誰からきたメールなのか、また自分のメールであるということを主張するためには、怪しげな宛名か、文中に目立つ署名が必要になってくる。
そこで署名の書き方、というのが重要な意味を持ってくる。署名というと、なんだか街頭で”原爆反対”だとか”自衛隊派遣反対”だとかそんなイメージがあるが、メールにおける署名はそういう類のものではなく、単に”自分の名前”という意味でしかない。社会的な意義もなく、精神的なものも存在しない。自分の名前をまさに”署名”する、それだけである。
では至って簡単に
「横山ノック」
と署名すればそれがいいのかと言えばそうではない。まず、自分の名前、そして住所、ホームページのURL、E-mailアドレスと、並べ立てるのが一般的である。
「横山ノック
大阪府大阪市東大阪2-5-6 大阪府警拘置所406号
http://www.pref.osaka.jp/
yokoyama@office.pref.osaka.jp」
しかしなんだかこれではただ並べ立てただけのように見える。実際そうだ。ではどのようにすればきれいに見えるのか。
「横山ノック
yokoyama@office.pref.osaka.jp
大阪府大阪市東大阪2-5-6 大阪府警拘置所406号
http://www.pref.osaka.jp/」
インターネットの中ではメールアドレスは名前と同じくらい重要な意味を持つ。ということで、名前とメールアドレスを一緒に並べることで”これが自分のアドレスですよ”とすぐにわかるようにする。また住所とホームページのURLを並べることもこれと同じ意味を持つ。途中で行間をあけているのは、スタイルのところで述べた通り、形をきれいに見せるためのコツである。住所とホームページのURLという並びよりも、実際にはホームページ名とホームページのURLのほうがいいだろう。メールアドレスというくらいでインターネット上ではメールアドレスがすでに”宛先”という意味を持っている。これに加えて現住所や電話番号を書く必要はあまりない。もちろん書きたければどんどん書き足すことは可能だが、見ず知らずの人に現住所等、知られたくない場合、もしくは防犯という意味からもあまり住所や電話番号を書くことはお奨めできない。かわりに勤めている会社、もしくは経営している会社、その他それに類するものの現住所や電話番号を書くことで信頼性を増すこともできる。
よくあるのがフリー(無料)のメールアドレスを使用し、ハンドル(ニックネーム)でメールを書くというパターン。これは詐欺とも間違われかねないので多少お金がかかっても普通のプロバイダに加入し、普通のメールアドレスを取得することをお奨めする。せめてメールアドレスくらいはまともなアドレスを持っているほうがいい。最近は名刺にまでメールアドレスを刷り込む時代である。名刺に書かれたメールアドレスがフリーメールのアドレスではあまりに格好が悪い。
話を元に戻そう。ようは署名というものは名刺の肩書きと同じで、見た印象がそのままその人のイメージにつながりかねない。ということはやはりどれだけ格好良く署名を書き上げるかということが重要になってくる。
「yokoyama knock
yokoyama@office.pref.osaka.jp
osaka prison 406
http://www.pref.osaka.jp/」
一番簡単なのが横文字にするということ。アルファベットならそれだけで格好良く見える。しかも外人の友達に送る時もそのまま使えるので便利である。はたして外人の友達がいない場合は早急にペンフレンドならぬメールフレンドを募集し、送る相手をみつけるというのも一案だろう。
ただこれではどっちが名前なのか、よくわからない場合がある。ではさらにこれを進めて、次のようにする。
「yokoyama knock
E-mail: yokoyama@office.pref.osaka.jp
osaka prison 406
URL: http://www.pref.osaka.jp/」
少しはわかりやすくなったように思う。アルファベットにしてしまうとメールアドレスやURLもアルファベットのために、少なくとも日本人から見た場合には名前もメールアドレスも同じように目に入ってしまうのである。そこで”これはメールアドレスですよ!”という”E-mail:”という目印をつける。URLは”URL:”とつける。さらに”E-mail:”、”URL:”の後には半角一文字分スペースを入れてメールアドレスやURLの”名称”ということをさりげなくわかるように工夫している。
これの応用で、
「yokoyama knock
E-mail: yokoyama@office.pref.osaka.jp
osaka prison 406
URL: http://www.pref.osaka.jp/
TEL: 06-6666-6666 FAX: 06-6666-6667」
といったように電話番号を入れていくなどすることもできる。
「 ★yokoyama knock★
E-mail: yokoyama@office.pref.osaka.jp
▼osaka prison 406▼
URL: http://www.pref.osaka.jp/
◆TEL: 06-6666-6666 ◆FAX: 06-6666-6667 」
またセンター揃えにしてみるとか、記号を入れるとかすることで、自分なりの署名を書き上げることができるようになる。ちなみにセンター揃えの場合は文字列が台形になるように揃えるときれいに見える。
以上のように署名の書き方にもいろいろある。ただこれといった定型があるわけではないので、それにとらわれることなく自分の署名の形を作り上げることが大切である。ようは相手に自分の名前を伝えるためのものなので、どれだけそれがわかりやすいかということが署名を書くうえでの重要な鍵となってくるだろう。
ビジネスメール
ビジネスメールというのは公文書と同じなので、ふざけたメールを送ってはいけない。シャレの通じる相手であれば顔文字も有効かもしれないが、お役所相手のメールに顔文字をつけるわけにはいかない。そこでどれだけ硬い文章を書けるかということが一番重要なポイントとなってくる。
またこれまで書いてきたメールのスタイルについても一切頭の中から削除してもらって、新しいビジネスメールのスタイルを構築しないといけない。これには少々骨が折れるが、できないことはない。
ビジネスにおいて、従来、メールのように”書く”ということが必要だったのは”FAX”である。実際すでにメールはFAXに変わる伝達手段になりつつある。もちろんFAXのほうが手軽で便利であるし、文字だけでなく絵や図形といったものも送れるので、今後はメールとは違った住み分けができていくことだろう。
このFAXに変わる文字の伝達手段であるメールは当然FAXと同じ法則がそのまま活かせるのである。
「 平成12年10月27日
お客様各位
Kyoto2001事務局
E-Mail: office@kyoto2001.com」
例えばこれはFAXのヘッダ部分をそのまま文字にしたものである。メールにおいても公式の場合にはFAXの送信文のようなスタイルでメールを書くことで、そのメールが公式のものであることを相手に理解してもらえるようにする。
またこれとあわせて署名の有無、署名についても会社名や部署名などをハッキリと明記することで、相手に信用を与えることができる。怪しい会社が多い昨今である。資本金の額まで明記する必要はないが、ある程度の情報を先に明記しておくことは非常に重要な意味を持っている。そして逆にそれが欠けている場合には、個人の信用のみならず、会社の信用をも失いかねないので、十分に注意が必要である。
友達に送るメールには利害関係がないので多少のことは目をつむることができる。返事を書かない場合もあるし、いい加減な返事を返すこともある。しかしこれがビジネスメールとなるとそうはいかない。メールは昼夜を問わずに送られてくるが、これをどれだけ早く返事を書けるかが、これからの”働き者”の定義に欠かせなくなるだろう。
真夜中に送ったメールに1時間と待たずに返事がくると人は
「おおっ、こんな夜中まで熱心に仕事をしているんだなぁ」
と感心したりする。じつは深夜映画を観ていただけとか、眠れずにウダウダしているところにメールがきただけだったりするかもしれないが、相手にとってはそれだけ迅速な返事を返してくるのはさぞかし”働き者”だろうと誤解する。
だからこそ自称”働き者”を自負する人は携帯電話にメールを転送するように設定するなりなんなりして、常にメールを返せる状態で生きていかねばならない。ただしこれがたまたまであっても返事が続けて遅くなってしまった場合には、当然のことながらそれまでの信用は水泡に帰す。
ビジネスは常に戦いである。今後e-Businessを勝ち抜くためには水のかわりにリゲインを飲み、寝る時間も食事中も関係なしにメールを打つことができ、なおかつ出先では女子高生よりも高速なテンキー入力ができるということが今後の”サラリーマン金太郎”の実像になってゆく。もちろん適切なメールを送れないと話にはならないが、それ以前にどれだけ早く送れるかということが今後、大きな意味を持ってくる。寝ていても起きているフリをしろ!そして常に起きているフリをしてメールがきた瞬間に返事を返せるビジネスマンを目指さねばならない。真夜中に電話がかかってくることはない。しかしメールは24時間待ち受け体制である。常にすぐに迅速に返事を返すこと。メールを書くというだけでもいっぱしのビジネスマンと認められる世の中なのである。あくせく働くよりもメールを書くことが重要な時代なのである。
出世したいのであればすぐにメールをすることである。そして必要とあれば返事を書くなり、電話をするなりしてビジネスチャンスをものにする。そしてどれだけビジネスチャンスをものにできるかが、どれだけビッグになるかの指標となるのである。
笑い
ビジネスメールはどれだけ迅速に返事を書けるかということが重要であったが、一般普通のメールはどれだけ相手を笑わせるかが重要なポイントである。メールは今や雑誌よりも身近な活字メディアの一つである。そしてメールは紙に印刷されたものではなく、さらに一過性という特色を持つ。持って歩けるマルチメディア、持って歩ける笑いのエンターテイメント、それが今のメールの位置づけである。
ガイジンにとって日本人は異様な民族に違いない。電車の中では話すはずの電話を目の前にカチカチとテンキーを打っている人、中には薄ら笑いを浮かべ、キーを打つ人。相手は電話なのに、なんだか恋人でも見るような目つきで画面を見つける人。はっきりいって尋常じゃない何かを感じるに違いない。しかもみんながみんな小さな画面に向かっている光景はまるで何かにとりつかれているようにさえ見える。
しかし携帯電話機という情報端末はあの小さな画面に人には見えない、自分だけの世界を映し出してくれるのである。そして人から人へと言葉を伝えてくれるのである。メールは人を幸せにするのか?いや、そればかりではないだろう。良いことも伝えれば嫌なことも伝えてくれる。だがどうせ人に送るのであれば、笑えるメールがいい。だからこそ笑えるメールを書くことは非常に重要なことである。
ではメールにおける”笑い”とはいったいどういったものなのか?
「隣の客はよく柿食う客だ。」
笑えない。面白くない。声にすると面白いかもしれない早口言葉も文字という世界ではまったく面白くない。言葉(声)と文字では笑いのツボが違うのである。
「今日、うちのベランダの隅で子猫が生まれました。
野良猫ですが、やはり子猫はかわいいものです。
みゃあみゃあと目も開かないうちから啼いています。」
笑いというのは何も大声でゲラゲラ笑う必要はない。あたりまえのことであっても、それが笑顔に繋がれば”笑い”の効果があったと言える。この文章の中に隠れた笑いは今まで書いてきた”笑い”とは明らかに違うが、これも一つの”笑い”である。
「夕方、道を歩いていると向こうから来た人が僕に道を尋ねました。
そこで次の角を左に行けばすぐですよ、と答えるとその人は
丁寧に挨拶して次の角を右にまわっていきました。
はたしてあの人が目的地にたどりついたかどうかはわかりません。」
オチのある笑い。しかも日常の中で起こった出来事をネタにして書いているので、素直に笑える。これが日常の”笑い”である。日常にはいろんなネタが転がっている。面白いものも面白くないものもある。話すと面白いのに文字にすると案外つまらないものもある。しかし日常の出来事を相手に伝えるということは、それだけでも相手はなんだろう、と興味を持って読んでくれる。ことに相手を知りたい場合は小さなネタからいろんなことを考える。うまくネタをふればそれだけ好印象を与えることもできる。
「先日、日本一うまいパスタを出すという店に行きました。
はたしてどれだけうまいのか?前人未踏のパスタの味を
今まさに口にしようとしたその時、僕は隣の女性が目につきました。
その女性はまるでゾウのごとき体格で目の前にある皿の上にある
パスタをぺろりとたいらげると、次の皿へと取りかかりました。
まったくゾウのごとき胃袋。」
この文章では”日本一うまいパスタ”というネタではじまり、じつはこれのオチがない。ゾウのごとき体格の女性はあくまで、はじめのネタとは別のネタであり、結局オチがついていないのがこの文章のポイントである。オチのある文章というのは確かに完結しているので読みやすい。しかしそこにツッコミを入れることはなかなか難しい。相手にネタを提供するだけでなく、”いったいオチはどこにいったの?”と薄々ながらも感じさせることができれば、メールのキャッチボールは続くものである。
そして非常に難しいことだが、この”オチのないメール”はネタによっては何か底知れない”笑い”がわき起こってくるのである。オチがないことで笑えるようになれば、まさにその”笑い”は一級品である。そして”オチのないメール”は話を続けるための絶好のエサとなる。相手を笑わせ、そして自分のメールに引きずり込むためには、この”オチのないメール”をマスターするにかぎる。
”笑い”とは人によって様々である。そして人を笑わせるというのは泣かせる以上に難しい。お互いに笑いのいっぱいつまったメールをやりとりできるようになれば、それが最高のエンターテイメントになることはまず間違いない。
番外編 −携帯電話の場合−
携帯電話とのメールのやりとりは少々勝手が違う。今まではいかにメールの内容をふくらませ、且つ言葉を整理するのかということを考えてきた。しかし携帯電話へのメール送信は基本的にはなるべく簡潔で明瞭なものを書くことが大切である。いつものようにダラダラと書いてしまうと途中でメールが途切れていたりする。これは現在、携帯電話で送受信できるメールの制限が非常に厳しいためである。21世紀になり、IMT2000という高速な規格が標準となればこうした現状も変わってくるようだが、それまではiModeだろうとなんだろうとあまり大きな違いはない。
携帯電話にメールを送る場合、気をつけないといけないのはいかにメールを小さくまとめるかということである。必要最低限の単語でショートメールを送るつもりで送るくらいがちょうどいい。長いメールは前述のように途中で切れてしまう場合がある。また携帯電話の一画面で読めるようなメールを送るほうが相手も見やすい。携帯電話へのメールについてはいつも以上の気遣いを忘れてはいけない。
そこでこれからとっておきの方法を紹介しよう。
「明日の朝、駅前に九時、目印は黄色い傘に赤いバラ。」
じつはこの短歌と同じ5,7,5,7,7の並びになっている。ちなみに季語はないのでどちらかというと川柳である。メールを考える時、普通に打っていてもつまらない。そこで携帯電話に送る時などは、遊び心たっぷりに川柳で送る。これなら短い言葉で情緒たっぷりにいろんなことを伝えることができる。ただし当然その川柳のデキ如何によっては相手はさっぱりわからない。いかにわかりやすい川柳を作り上げるか、この一点にかかっているという、ある意味非常にリスキーなメールのやりとりである。ただしうまく伝わった場合には、まるでクイズ番組のクイズの答えを当てたような充実感さえ味わうことができるだろう。
字余りだとかそんなことは気にする必要はない。歌を詠む時には流れを大切にしないといけない。
「愛してる、それが言いたい、今すぐに。」
こんな感じでもいいかもしれない。ようはなんでもありである。
「愛してる、それが言いたい、今すぐに。君に言いたい、あの娘に言いたい。」
ここまで書くとまずい。やはり適度な長さがいい。”一言多い”というのはメールでも現実社会でもあまり歓迎されないものである。以上のようなことからも携帯電話へのメールは短いほうがいいということがおわかりいただけるだろう。
しかし、川柳はいささか難しい。言葉を短くするためにずーっと考えているよりはウダウダした内容であってもメールを書いて送るほうがいい。なぜならメールは新鮮さが命である。しかもこの新鮮さは産地直送の野菜よりも鮮度を要求される。おいしいものを作るからといって長い間ほっておいては意味がない。どれだけ早く、どれだけ多くのことを伝えられるかが重要である。これは携帯電話相手のメールであろうとその他であろうとかわらない。
では具体的な例を挙げてみよう。
「今から家を出ます。17時頃にはそちらにつくと思います。」
このメールはどうだろう。携帯電話へのメールは川柳で、というのは三割半くらい冗談であるが、必要最低限の言葉を並べるということについてはあながち間違ってはいない。このメールにおいてはまだまだシェイプアップが可能である。
「今から出ます。17時にはつく予定。」
”家を””頃””そちらに”をはぶいた上で”思います”を”予定”と変更する。まず”家を”という出発地点を伝える必要がある場合はともかく、それが周知の事実の場合にはこれをはぶく。”そちらに”という目的についても同様にはぶくことができる。”17時頃”という表現は別に”17時”でも困らないのでこれもはぶく。”思います”というのを”予定”と置き換えたのはこれも文字数を少なくするためである。iModeなどはパケット通信なので文字数に応じて課金される。確かに128文字(半角)1円なのでたいしたことはないが、塵もつもれば山となるという言葉もあるほどである。日常使うものであればあるほど、そうしたところから切り詰めていくことで随分と通信費を抑えることができる。特に携帯電話へメールを送る場合には長文のメールは爆弾を送るに等しい。となるればなるべく小さくして送るという気遣いも必要になる。
この法則は携帯電話同士のメールでも同じことが言える。お互いダメージを与え続けることになっては意味がない。いかに短いメールを工夫して送るかということが大切である。この点に関しては女子高生は他にはないノウハウを蓄積しており、ぜひ見習いたいものである。援助交際してつまらぬ方向に走るのではなく、援助交際という名の携帯電話ハウツー講座のほうがよっぽど健全な気がするのは僕だけだろうか。そして実際そっちのほうが大いに役にたつ。
携帯電話からの届くメールの多くが改行を忘れたかのようにただひたすらに横に長い。これは改行を忘れたわけではなく、”改行”という概念が携帯電話のメールにはないからである。もちろん機能的には存在する。携帯電話同士でのメールのやりとりの場合、改行が使われることは希である。そしてそれと同じ調子でパソコンやPDAにメールを送った場合、ただただ横に長いメールが届くのである。
こうしたメールは友達同士の場合は許されるが、ビジネスメールとなるとそうはいかない。なんだか見た目、手抜きのメールにしか見えないからである。携帯電話からのメールがどういうものか知っている人が相手であれば、ああ、携帯電話からだな、と理解してもらえるかもしれないが、そうでない場合にはただの失礼なメールとしか目に映らない。そこで携帯電話からメールをする際には、携帯電話からとは想像できないような、きれいなレイアウトを意図的に作り上げるしかない。では具体的にはどうすればいいのだろうか。
まず自分の持っている携帯電話の画面に表示できる文字数を数えるなり、説明書を読むなりしてよく理解しておくことが大切である。次にそれが仮に12文字x8行だった場合、3行程度を目安に改行を入れながら文章を進めていく。
「本日の打ち合わせの結果
明日から出勤には自転車
を使用すること。(改行)
次に忘年会は無礼講だが
決して自分を忘れるほど
飲んではいけない。(改行)
以上、ご理解いただける
ようお願いしたい。(改行)」
携帯電話の画面で見るとこんな感じだろう。しかしこれがパソコンの画面になると
「本日の打ち合わせの結果明日から出勤には自転車を使用すること。(改行)
次に忘年会は無礼講だが決して自分を忘れるほど飲んではいけない。(改行)
以上、ご理解いただけるようお願いしたい。(改行)」
とこのようにレイアウトされる。これなら携帯電話から書いているとは思われない。非常に細かい問題だが、携帯電話で片手でカチカチ打っているメールというのはなんだか気分的に失礼な気がしてならない。もちろんこれは気分的なもので、内容が問題なければまったく問題はないはずである。しかしなぜか携帯電話からのメールだとわかると、無性にあの片手でウイッウイッウイッと押している姿が目に浮かび、いい気分にはなれないのである。だからこそ携帯電話からメールを書く場合には、十分に気をつかい、携帯電話からメールを打っていることを悟られないようにしないといけない。
携帯電話へのメール、携帯電話からのメール、どちらもイレギュラーなメールのような気もするが、実際には最近のメール人口を支えているのは携帯電話ユーザー層に他ならない。iModeが数ヶ月で何百万という加入者を集めたのも、くだらないiModeコンテンツのためではなく、メールのためである。携帯電話は話す道具ではなく、メール端末としての需要がその一部を支えているのである。逆に言えば携帯電話へのメール、携帯電話からのメールというのは短期間のうちに極々当たり前のものになってしまったのである。ところがiModeビッグバンとも言える現在の状況はメールの書き方を知らない層も多く生み出してしまっている。当然これからそうした人種は淘汰されていくべきだが、それまでに自分が生き残らないと話にならない。そうした意味でも場面に場面に応じたメールの書き方をある程度理解しておくということは非常に重要なことであると言える。
まとめ
メールの書き方をつらつらと書いてきたが、実際メールに定型の書き方などというものはない。話し方と同じにメールにも自分のスタイルというものがあり、そうした自分のスタイルを確立し自由に書くことが一番いい。それは人まねである必要はまったくなく、好きなように書き綴るのがいい。そのほうが自分らしさが出るし、読んでいても楽しくなる。当然、伝えたいものをどれだけうまく表現するかという一点については才能か、運かに頼ることになるが、それ以外はやはり好き勝手に書くほうが書いていても楽しいし、読んでいても楽しくなるはずである。あとは返事をこまめに書くとか、失礼のないように書くとか、それくらいである。
メールはコミュニケーションの一つである。そして車の運転と同じく、書くことに慣れていけば楽しくなるものである。楽しくなれば言葉は後から後から湧いてくる。そしてきっと人との言葉のやりとりが本当に楽しいと感じられるようになった時、気軽にドライブに出かけるような気持ちでメールを書けるようになるに違いない。
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