| 林檎補完計画 -林檎本の世界- 林檎本の世界観 林檎本の世界観とは、あくまでそんな中から出てきた一つである。古い机に古いマシン。僕の理想はそこにある。常に新しいものばかりを追い求めるパソコン社会にあって、古い机の上に置いてあるマシンが古いマシンであったなら、これほどぴったりくるものはない。何度も何度も何度も書くようにあくまでシャレである。ただシャレであっても笑えないシャレがいただけないなと感じるように、シャレであってもえるモノ、これを目指していきたい。そう考えた。考えて、そして実行しようとまた、考えた。 では何ができればいいのか? それはLAN端末としての机上のマシン、これが零号機の目指すところである。古い机上、そこにあるインターネット端末であり、他のマシンとも接続可能なマシンであることが重要であり、それ以上でもそれ以下でもない。ふと思いついた時に起動できて、なおかつ遊べればこれにこしたことはない。まったく使えない格好だけのマシンではなく、いっちょまえに動き、働き、遊べるマシンこそ林檎本として意味がある。 いっちょまえに働くとは? そして更には、持ち運びのできる一体型マシンとして働くことが可能だということを忘れてはいけない。僕が林檎補完計画の継続とMacintoshColorClassicをBUYするきっかけともなった悪魔の書「マッキントッシュ礼讃」(カットシステム発刊)によると、その昔アメリカ、シリコンバレーにおいては、SE/30を毎日専用のカバンに入れて、背負って会社に現れるパワフルなヤンキー(この場合アメリカ人をさす言葉。夜中コンビニの前にたむろする暇人とは意味が異なるので要注意)が続出したという。ということは、一体型Macは持ち歩けるのだ。そう家の中で、もしくは社内でちょっと動かしたい時には動かすことができるマシン、それが一体型Macであり、それと同じ筐体で同じコンセプトを持つ林檎補完計画のマシンたちということになる。まさに共に働くことのできるマシンなのである。 いっちょまえに遊ぶとは? ブラウザの他にも用途がある。林檎本はインテリアとしてその意味を持つ。どんなマシンも普通、同じような格好をしていて、パソコンでございとばかりに机の上に座っている。しかし林檎本はインテリアとしてのセンスが他とは全く違う。そのうえ、外観は一体型Mac、中身はLibrettoという組み合わせは一見して区別することができない。部屋の模様替えをするのと同じに、林檎本をインテリアの中の遊びのエッセンスとして効果的に使うことができるのである。他のマシンではできない贅沢な遊びであるといっていい。 こんなことしてていいのか? とにかくこんなことしてるより、さっさとネタ作って更新したいのは山々だが、なにぶんネタを作るにも材料がいるということをご理解いただけるとありがたい。今後もぼちぼち更新の予定ですが、末永くご購読おねがいします。それだけが唯一の支えとなっております。 |