「自作機その二」
マシンが動いた次の日、音が出ないことに気がついた僕は早速、サウンドブラスターを
購入するため、京都は寺町電気街へと向かう。
よっぽどあやしげな部品にしようと思ったが、何を思ったのかJ&Pでサウンドブラスター
もちろん正規品を購入。家に帰って取り付ける。
カバーをはずし、ボードと差し込み、マシンを起動させてドライバを読み込ませる。
全く問題なく動く。さすが正規品。つまらないことに感動する。
自作機の面白さというものが、おぼろげながらわかってきた。ある意味すごい拡張性を
秘めたデスクトップマシンというものにも感心した。
しかし・・・である。
何かが違う。Librettoを使っている時とは何かが違う。確かに苦労して起動して、ボード
類を差してドライバを入れて認識させる。やっとのことで「バーチャロン」が動く環境を手に
入れることができ、あとは「バーチャロン」さえあれば、すぐにでも動くのである。
ところが・・・やはり何かが違うのだ。Librettoでは「バーチャロン」は動かない。しかし、
今回のマシンにはない使っていて充実感を感じることができる。PCカードをBUYしても、
その1枚を動かすのにさえ、苦労した日々。設定を四苦八苦してやっと動かしたCD-R。
HDDを換装し、セットアップディスクの山を見て泣いたあの日。
今度のマシンにはすべてがある。しかしただ一つ、充実感というものに欠けるのだ。自分
自身で自作すれば、もっと充実感があっただろう。しかし、それにしてもLibrettoの改造と
いったものとは趣が違う。Librettoというマシン自体を持つことの魅力、そしてそれを自分
の手で改造していく楽しさ、しかもそれがもしかすると動かないかも、という緊張の中で、
それを達成した時の充実感というものは自作機とは全く違ったものなのだ。
自作機にもリスクはある。メーカー品でない以上、保証というものはない。ボード類を差し
込んだところで動かないものも少なくない。しかし、ボードが動かないからといってマシン
自身が壊れることはまずないだろう。
Librettoの場合、裏蓋を開けてHDDを換装する時でさえ、一つ間違えれば本体ごとゴミ
箱行きの運命をたどる。クロックアップなどならさらにその確立は高くなる。大丈夫なのか。
常にそのことばかりを気にしながら作業を進める。
自作機の場合、そのリスクが当たり前であり、普通である点においてLibrettoとは全く
違う。Librettoのリスクは線を越えるか越えないかという駆け引きの上になりたっている。
ちょうど「ディアハンター」のクリストファー・ウォーケンのように、その線を越えてしまった
あとは、誰もがその緊張感を忘れることができず、また緊張感を求め続け、その緊張感を
求める自分に酔うことで、充実感を得るのである。
自作機は拡張性に富み、すばらしい。しかし、自作機はLibrettoよりも当たり前なのだ。
Librettoにしか存在しないリブラーというステータスと、そのLibrettoを改造し自分だけの
Librettoを作り上げるための緊張感は自作機とは全く異なっている。
スペックはそこそこでもいい。その限られた中での限界に挑戦したい。オリジナルのもの
を作り上げたい。リブラーの中には、そんな思いでLibrettoを選んだ人が少なからずいる
のではないかと僕自身は考えている。
P.S.
誤解のないように。すべてのリブラーが僕と同じように考えているとは思わない。ただ、
僕自身は今回の自作機購入で、リブラーである自分というのを再発見したような気が
したし、僕だけが特別だとは考えられなかったので、強気の日記を書いてみました。