「ぬりかべ相対性理論」
宇宙を想像してほしい。限りない星の海を。
物質の動きはそれを見る人間の動きにまったく関係なく行われる。という、よくわからない
理屈は中学だったか、高校だったかの物理の時間に学んだはずだ。これが世にいう、相
対性理論というものだ。ひらたくいえば、物理運動というものは勝手に行われているもん
なんだという理屈のはず。僕もよくわからない。これについては質問を避けてください。
で、ここに”ぬりかべ相対性理論”なる新しい理論を発表したい。
相対的かどうかはともかく、名前がそのほうがかっこいいからそう呼んでみただけで、別に
他意はない。なんでやん!などツッコミは不要なのでそのつもりで。
「Diablo」と「DungeonKeeper」については、すでにしつこいくらいに書いてきた。この二つの
関係を考えた時、そこにぬりかべ相対性理論が見えてくる。
「Diablo」とは勇者が悪魔を倒すゲームである。それに対して「DungeonKeeper」は悪魔が
ダンジョンの中に入ってきた勇者を翻弄するというものだ。この二つの関係は決して別には
できないことがこのことからもよくわかるだろう。
しかし、同じゲームというヴァーチャルな世界ではあるが、この二つはジャンルが違うのだ。
「Diablo」はRPGであり、「DungeonKeeper」はSLG。一見同じ3Dダンジョンを舞台にした
ゲームだが、全く違う操作性をゲーム感がそこには存在している。
それにしても外人というのは、こういった勇者モノ・悪魔モノが大好きだ。きっとひゅーひゅー
口笛ふきながらPLAYしているに違いない。これは動物園のサルにも等しい。もし日本を
舞台にしたRPGがあったとしても、その中にいきるものは”武士道(ブシドー)”であり、偉大
な”大和魂”であることは間違いない。その中のキャラに感情移入したとしても、口笛を吹く
なんてことはありえないが、外人はたいていガムと口笛、そして負けた時のぶーいんぐを
欠かすことはない。そしてそれはゲームにおいても同じなのだ。
日本を舞台にした「Diablo」のようなゲームがあるだろうか。勇者モノだ。悪魔という感覚が
存在しない日本なので悪魔モノが日本から発生することはまずないだろう。しかし同じよう
に刀を持ち、正義のために駆け回る武士というのは時代劇にもよく登場するくらいなので、
あってもおかしくはないはずだ。「桃太郎伝説」くらい・・・かな。アクションでいえば「侍魂
サムライスピリッツ」があるが、あれはどちらかというと日本版「モータルコンバット」なので
少し趣が異なる。忍者モノで「忍者くん」があるが、はたしてあれにブシドーがあるのか。
「影の伝説」はシュールなアクションゲームで僕自身はしごく好きだった一品だ。
悪魔モノではないが支配するゲームというのは存在する。「信長の野望−全国版−」という
ゲームをご存じの方も多いだろう。そうこのゲームはその昔、「団地妻は電気ウナギの夢を
みるか?」などというふざけたゲームを作っていた光栄という会社が作った日本のゲーム史
に残るすばらしいSLGである。この中には支配するという観念が盛り込まれている。人間
の支配欲を満たすには、こういったゲームは欠かせない。「DungeonKeeper」にも通じるもの
がそこには存在する。そして「信長の野望」には一揆さえも存在した。人間の勝手な支配欲
に対して相対関係にあるものが勝手に反抗してくるという存在だ。「DungeonKeeper」の中
でいう勇者達の存在がこれにあたる。日本のゲームにあって唯一民衆を題材にしたゲーム
「いっき(一揆)」があった。これは悪代官を民衆が倒しにいくというストーリーだが、実際、
一揆に参加しているのはPLAYしている自分と、うまくいけば2playerで参加した友達のみと
いうとても悲しい反抗だった。そのうえ武器といえば、そのへんに落ちてるクワやカマであり
勇者たちが手にする、BloodSwordやBattleAxeといったカッコイイ武器は皆無だった。きっと
これが映画「7人の侍」を題材にしたゲームで、侍が野武士相手に合戦するというものだった
ら、大ヒットしたに違いないが、残念なことにこのゲームは特別ヒットはしなかった。
とにかく、ゲームというヴァーチャルな世界においても、常に相対的なものは存在し、それが
他の存在をアピールするということはよくある現象の一つである。これがまさに、今回発表
しようとするぬりかべ相対性理論のそれである。
「Diablo」をPLAYしていると自分が勇者のような錯覚を起こす。しかし、実際ダンジョンが進む
に従い、お金を奪うためだけに殺戮を繰り返し、へっへっへっと笑みを浮かべることも少なく
ない。だんだん自分が勇者であるということよりも、ディアブロを倒すという目的のためだけに
つき進んでいく姿は逆に悪魔的だと言ってもいい。そして遂に最後にはディアブロを倒した
あかつきには、その悪魔となんら変わらぬ自分を見ることができるはずだ。
勇者としてダンジョンに入り、殺戮を繰り返すうち、それが無機質な快感となり、そして悪魔
を倒すという目的で、ついには自分が悪魔に成り下がってしまうのだ。「DungeonKeeper」の
世界を楽しむためには積まねばならない経験がある。勇者としてダンジョンに入り、悪魔を
倒すこと、それが「DungeonKeeper」への道なのだ。
ある意味で食物連鎖のような関係がそこにまたなりっていき、自然とぬりかべ相対性理論を
証明してくれるにいたるのだ。「Diablo」を終えたなら、何も考えずに「DungeonKeeper」だ。
悪魔を倒せ、そして悪魔に魂を売れ、悪魔になって勇者たちを翻弄しろ。
それが勇者の進むべき道なのだ。ヒッヒッヒッ・・・