第一回 遠乗り

 

限界への挑戦

 チョイノリのコンセプトは近所を走るためのちょい乗り用スクーターというものだが、なぜだかこれを遠くまで走らせる人が少なくない。日本全国チョイノリの旅なんていうのもあったくらいで、多くの人がチョイノリを駆って新たな冒険に挑戦している。

 ぼくが遠くまで乗ることはほとんどない。もともと近所を走るために購入したチョイでもあり、荷物も積めないし。まさに自転車感覚で乗ってるぼくにとって、遠乗りは危険な冒険以外の何ものでもない。

 しかし先に述べたように多くの人が遠くまで走って行く。その先駆者の一人に1200bpsさんがいる。LINKページから飛ぶとわかるように、長野県の道の駅を制覇するところから、先日はフェリーを使って佐渡にまで渡ったという強者。フェリーでチョイノリと共に移動するという発想はぼくにある一つの思いを起こさせた。

 

父の背中

 父はフェリーに乗るのが趣味だった。ほんとは豪華客船に乗りたかったんだろうけど、あいにくそれだけの予算がなくて、フェリーの特等客室に泊まり、日本を旅してまわるというのが晩年唯一の趣味だった。

 1200bpsさんがフェリーにチョイノリを乗せているのを見て、これだと思った。父が健在であればぼくのSSを、もしくは父用にもう一台買ってプレゼントした。きっと父はチョイノリでのんびりと大阪港まで走って行って、もしくはぼくが港まで父とチョイノリを運んで行って、チョイノリとフェリーに乗って、そして旅したとしただろう。旅先でチョイノリがあれば、くるくるまわるのにさぞ重宝しただろう。


船に揺られる1200bpsさんのチョイノリSS
(写真を勝手に拝借)

 船旅のホームページを開設しているのでページを作るネタにもなっただろうし、喜んだだろう。父の生き方にはぴったりだったんじゃないだろうか。ビッグスクーターもいいけど、たいした荷物も持たずに身一つで旅する人だったから、きっとチョイでも十分に役に立ったに違いない。そういう旅にはチョイがよくあう。そして父はそういう旅のできる人だった。

 父が亡くなってもう1年半が過ぎた。なのにその存在感は日を追う毎に増している。はじめは亡くなったことすらよくわからなかった。それが亡くなったという事実を受け入れていくうちに、理解すしていくうちに、現実という束縛から自由になった父という存在が心の中で大きくなっていった。父はずっと遠くに旅立って行ったが、それが父がはじめて手に入れた自由だった。

 

ぼくの旅

 ぼくは父とは違って一人どこかに旅するというのは苦手だ。チョイを駆って走るのもほんとに近所だけだし、チョイで旅することはないだろう。

 ぼくにとっての唯一の遠乗りは京都の街を西から東へと横断して、に行くことくらい。そんなぼくなりの遠乗りに出ると、ここでもまた父の背中を見る。父もきっとふらっと走って行っただろう。この道をずっとまで走って行って、父にとってはほんの少しの距離、すぐそこまでの小旅行を楽しんだに違いない。

 父が生きていたら、キャリア付きのSSをプレゼントしたい。後ろにスチール製の箱でもつけて、いろんなものを積めるようにして、いつでもどこでも走っていけるようにして。

 きっとぼくはこれからも父の後を走って行く。ずっと走り続けて行く。父が走り続けたこの道を。

2006/06/01

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